日本人は元来、自然崇拝を愛する民族です
自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを神格化する信仰を好み、
各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場することから、万物に宿る精霊を崇拝対象とするアニミズムとも関係が深く、その原初的な形とも捉えられる

例えば
天空
大地、山、海
太陽、月、星(星辰崇拝)
雷、雨、風などの気象
樹木、森林 (神奈備)
動物(特に熊、狼などの猛獣)
水、火、岩石

これらのうち共通の属性を持つ複数のものを一体として神格化する崇拝(例えば天空と雷など)もある
神道では、巨木、巨石(磐座)、山などを御神体とする神社も多く、これらへの自然崇拝を色濃く残している

その中の、山岳信仰(さんがくしんこう)は、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰
雄大さや、厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した、宗教形態であると思われる
これらの信仰は主に、内陸地山間部の文化に強く見られ、その発生には人を寄せ付けない程の険しい地形を持つ山が不可欠とされる

天狗が住むと言われる所は、総じて山岳であるのも興味深い
そのような信仰形態を持つ地域では、山から流れる川や、山裾に広がる森林地帯に衣食住の全てに渡って依存した生活を送っており、常に目に入る山からの恩恵に浴している

これらの信仰を持つ人々は、険しい地形や自然環境により僅かな不注意でも命を奪われかねない環境にあることから、危険な状況に陥る行為を「山の機嫌を損ねる」行為として信仰上の禁忌とし、自らの安全を図るための知識として語り継いでいると考えられる

農村部では水源であることと関連して、春になると山の神が里に降りて田の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰もある

また仏教でも、空海が高野山を、最澄が比叡山を開くなど、山への畏敬の念は、より一層深まっていった
平地にあっても仏教寺院が「○○山△△寺」と、山号を付けるのはそのような理由からである

また日本では、登山をする際に山頂に達することが重要視されるのは注目すべきである
日本人の場合、山自体を信仰する気持ちももちろんあるのだが、そこから早朝に拝まれるご来光を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらにその先(彼方)にあるもの(あの世)を信仰していることが原因であろう
日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついているのである

その後、密教、道教の流れをくんだ修験者や山伏たちが、俗世との関わりを絶ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行った
これは、後に修験道や呪術的宗教などを生み出している
そして、天狗に繋がる伝説が数々生まれることになる
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日本の山岳信仰の主な形態をまとめると、以下のようになる
火山への信仰
富士山や阿蘇山や鳥海山など、火山の噴火への畏れから、火山に神がいるとみなして信仰するもの。

水源である山への信仰
白山など、周辺地域を潤す水源となりうる山を信仰するもの

死者の霊が集うとされる山への信仰
日本には、恐山や月山、立山、熊野三山など、死者の霊が死後にそこへ行くとされている山が各地に存在しており、それらの山々が信仰の対象となることがある

神霊がいるとされる山への信仰
宇佐神宮の奥宮である御許山や、大神神社の御神体とされる三輪山や、役小角が開いたとされる大峰山など、山としては規模が小さいが、あるとき、その山に神霊がいるとされて、以後信仰が始まったもの


<修験道の誕生と山岳仏教>
日本において、山岳信仰が、日本古来の古神道や、伝来してきた仏教(特に天台宗や真言宗などの密教)への信仰と結びついて、「修験道」とされる独自の宗教が生み出された点は、特筆に値する
修験道は、修行により吸収した山の霊力を人々に授けるというもので、役小角が創始したとされる

現在も、「本山派」(天台宗)あるいは「当山派」(真言宗)の修行僧(山伏、あるいは修験者などと呼ばれる)が、伝統的な修験道の修行を行っている

それまでの都市に寺院を構える仏教諸宗派が、政治との結びつきを強めていたことへの批判的意味合いも含み、鎮護国家を標榜しながらも密教的色彩を強め、政治とは一定の距離を置いた
国土の大半が山林であり、古来より山岳信仰が行われていた日本には、こうした考えが受け入れやすい地盤があったといえる

世俗的な次元からも、貴族などが修行僧の持つ験力に、現世利益・病魔退散を期待したことなども山岳仏教の発達を後押しすることになり、皇室など朝廷の庇護を受けて、急速に一般化の道を歩む
806年(延暦25年)には山岳仏教が都市仏教と並び正式に国家仏教の一つとなる
さらに、山岳修行に重点を置く修験道へとつながり、神仏習合思想が発生する

なお、「山岳仏教」を仏教とは異なる独自の宗教とするとき、修験道ともいう

次回は天狗の起こりについて書いてみようと思う

天狗について まとめ