鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社
式内社(名神大社)、常陸国一宮
全国にある鹿島神社の総本社
千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社
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古くは『常陸国風土記』に鎮座が確認される東国随一の古社であり、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)を祭神とすることで知られる

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楼門(国の重要文化財)

藤原氏から氏神として崇敬された
その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された
現在も武道では篤く信仰される神社
鹿を神使とすることでも知られる
その地名「カシマ」は、『常陸国風土記』では「香島」と記載される
鹿島神宮
本殿(国の重要文化財)

武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ[6]/たけみかづちのおおかみ)
『古事記』では「建御雷神」、『日本書紀』では「武甕槌神」と表記される
別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」

鹿島神宮の主祭神はタケミカヅチ(武甕槌/建御雷)であるとされる
タケミカヅチの出自について、『古事記』では、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)の首を切り落とし、剣についた血が岩に飛び散って生まれた3神のうちの1神とする
日本書紀ではここでタケミカヅチ祖のミカハヤヒが生まれたとする

また、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においては、アメノトリフネ(天鳥船神:古事記)またはフツヌシ(経津主神:日本書紀)とともに活躍したという。
その後、神武東征に際してタケミカヅチはイワレビコ(神武天皇)に神剣(フツノミタマ)を授けた
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さざれ石


鹿島神宮は、下総国一宮の香取神宮(千葉県香取市)と古来深い関係
「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある
両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社である

『延喜式』神名帳(平安時代の官社一覧)では、「神宮」と表記されたのは大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった

両神宮は武神を祀る神社として武家から信仰された
現代でも武術方面から信仰は強く、道場には「鹿島大明神」・「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対で掲げられることが多い

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古来「御座石(みまいし)」や「山の宮」ともいう
地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどで、形状は凹型

かつて、地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰された
要石は大鯰の頭と尾を抑える杭であるといい、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている
『水戸黄門仁徳録』によれば、水戸藩主徳川光圀が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという

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鹿島神宮 常陸国一宮
所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
主祭神 武甕槌大神
社格等 式内社(名神大)
MAPは東国三社