香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市香取にある神社
下総国一宮
関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社
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二の鳥居

朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社
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総門

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
別名を伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)

祭神について
香取神宮の主祭神はフツヌシ(経津主)として知られる
その出自について、『日本書紀』(720年)では異伝として、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群がフツヌシの祖であるとしている
また別の一書として、カグツチの血が岩群を染めイワサク・ネサク(磐裂神・根裂神)が生まれ、その御子のイワツツノオ・イワツツノメ(磐筒男神・磐筒女神)がフツヌシを生んだとしている
その後『日本書紀』正伝では[原 2]、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大己貴命と国譲りの交渉を行なったという。なお、『古事記』ではフツヌシは登場しない

フツヌシと香取の関係については、『日本書紀』一書に「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」とあり、「檝取(楫取、かとり) = 香取」に祀られることが記されている
また『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)で「経津主神云々、今下総国香取神是也」、『延喜式』(延長5年(927年)完成)所収の「春日祭祝詞」でも「香取坐伊波比主命」と記されている

祭神の性格としては、フツヌシが国土平定に活躍したという書紀の説話から、武神・軍神と見なされている。名称の「フツ」についても、記紀に見える神剣「フツノミタマ(布都御魂/韴霊)」の名と同様、刀剣の鋭い様を表した言葉であるといわれる
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楼門(国の重要文化財)
一説によると、朱色が多いのは血の色だと言われている


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本殿(国の重要文化財)
三間社流造、檜皮葺で、南面している。この形式の社殿としては最大級の規模である


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要石(かなめいし)形状が凸型の霊石

地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていた
要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として現在にも伝わっている。鹿島・香取の要石は大鯰の頭と尾を抑える杭と言われ、香取は尾を押さえている
なお、鹿島神宮には凹型の要石があり、同様の説話が伝えられる
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香取神宮 下総国一宮
主祭神 経津主大神
社格等 式内社(名神大)
所在地 千葉県香取市香取1697
MAPは東国三社